31 8月

よく見てくることにした。

うちから、西に1Kmほど行ったところに大草城跡がある。
二の丸には天守を模した展望台が作られているが、この城跡は、二の丸と本丸を囲む堀の遺構と本丸の遺構が残っている。

と、思っていたら、今日ふと大草を通ったら、二の丸の北にあった堀がなかった。
見間違いかと思い、もう一度戻り、見てみると、新しい道路があって、そこは堀の遺構があったところだ。
たまたま歩いていた人に聞いたら、地主が不動産屋にそそのかされて夏ごろにアパートを建てたということだ。
二の丸を囲む土塁跡が崩される前には、教育委員会が来て発掘調査をしたそうだが、特に何かが出てきたということは無かったそうだ。

もともと、大草城は天正10年、織田信長が京都本能寺で明智光秀によって討たれたのち、織田信雄が清洲城主となって尾張・北伊勢を拝領した。 これに伴い、叔父の織田長益(有楽斎)がこの地を拝領することになった。

長益は、当初、佐治氏の大野城に入ったが、高台にあり水利が悪いため、大草城を築くことになった。
しかし、小牧、長久手の合戦のあと、長益は摂津へ所領を移され、大草城は完成することなく廃城となった。

しかし、尾張藩は大草城の地理的重要性を重んじ、城郭の保存を図ったとされている。
そういう理由から今まで残った遺構をいとも簡単に破壊するとは何事か。

建てられたアパートも入居者はほとんどいないようだ。

近いうちにもう一度行って、よく見てくることにした。